ichigojam12345
もっと美しいものでは「つばき、葉おちて露となる。何ぞ」。「つばき」から葉が落ちたのだから、「つき」。それが「露となる」のだから「つ」が「ゆ」になって「雪」。答えは雪だが、これが椿、葉、露、雪というふうに雪月花するのだ。なんとも溜息が出る。

sugar-factory:

From the brilliant series “Where Children Sleep” by James Mollison.

Top to bottom: China, New York, Senegal, Tokyo

昔は、賞味期限を表示するかわりに、松の葉を入れていました。

おいしいものには、おいしく食べられる期間があります。
鶴乃子でいうと、14日間。それを、賞味期限というかたちで表示するようになったのは、昭和30年頃からです。それまでは、箱の中に松の葉を入れていました。
なぜ松の葉を添えたのか。それは、鶴乃子が固くなって食べられなくなってしまうまでの日数と、松の葉が深い縁から茶色に変色するまでの日数が、ほぼ同じだからです。しかも、湿度が低すぎると鶴乃子は通常より早く固くなりますが、同じように松の葉も早く茶色に変化します。そして、鶴と松は縁起のいい組合せであるうえ、白と緑のコントラストが見た目にもうつくしい。これは、創業者石村善太郎の知恵でした。

二年前にインドを旅行した時

ネパールまでの長距離バスの中で私は気分が悪くなり、 めまいと吐き気を覚えたために、

途中で降りて小さな村に泊まった。


その時、バススタンドで四歳くらいの少女に出会った。


彼女は小さいのに物乞いをして生活をしているようだったが、

気分が悪くうなだれている私の前に座って、

自分が物乞いをして手に入れたと思われる小さなしおれたみかんを一つ、

私の手を引っぱってにぎらせ、


「カーオー、カーオー(食べろ、食べろ)」と言う。


私はのどが渇いていたので小さな声で、

「シュックリア(ありがとう)」と言ってみかんをもらった。


すると少女はダーッと道の向こうに走って行った。


見ると少女は金持そうなおばさんに物乞いをしている。


何回も何回も手を差しのべるが、おばさんはガミガミと何か言って少女を追いはらった。


今度少女は、すぐ近くで見ていた男の人に手を差しのべた。


男の人は胸のポケットから硬貨を取りだし、少女の手ににぎらせた。


私は「ああ、もらえてよかったね」と心の中で思った。


お金を手にした少女は、またダーッと走った。


私は少女のくれたみかんで気分が少し楽になっていた。

なにやら少女は御茶屋で話しこんでいる。

ずーっと見ているとお茶を負けてくれと頼んでいるらしいのだが、

突然ニコッとこっちを見るとお茶屋から二杯のチャイを手にして私の所へ走って来た。


「ピーオ(飲みな)」

と小さな汚れた手でお茶のコップを熱そうにつかんで差し出した。


私はこの時ほどうれしく、

涙があふれそうになったことはなかった。


彼女の目は貧しいのにキラキラと光って力強く見えた。


どこの国の人かも知らず、

今日食べるものもない自分のわずかな食べ物を、

経済大国から来た大名旅行者に分けてくれた彼女のやさしさを、

今も忘れることはできない。

贅沢は貧しさの反対語と考えている人もいるけれど、

それは間違い。

下品さの逆です。

ココ・シャネルの名言 (via mayumiura) (via tohya) (via less-is-more) (via vmconverter) (via iyoda) (via fukumatsu) (via mnak) (via petapeta) (via zukke) (via takaakik) (via dannnao) (via deli-hell-me) (via nobby0-0) (via galliano)
境界性人格障害は子供時代の愛情不足や歪んだ愛情のせいで
人格が狂ってしまった、子供のまま大人になってしまった障害。
親から得られなかった愛情を他人でまかなおうとするために
自分や自分の大切な人を傷つけて離れていかないかを確かめようとする
これは大人になって人格形成してしまうと
水がめにヒビが入ったようにいくら愛情を注いでも
満ち足りることはない。
母が他界した際、多くの人が「親切心」から私を慰めてくれた。「お母さんは心の中で生き続ける」と耳にタコができるくらい聞かされた。面白いことにみんなそう言う。ありがたいなとは思ったが、同時に「何を言ってるんだろう、この人たちは。心の中で母が生きていたとして、もう一緒に寝ることはできないし頭を撫でてもらうこともない。これが現実だ」と強く思った。